ちょっとテーマが重いけど、最近考えることが増えたから書いてみました。
生まれてから死ぬまでに、人生にはいろんなことがある。いろんな選択をする。
それは自分で決めることもあれば、親や身近な人が決めることもある。進学、結婚、就職、引越し。
宗教って聞くと、イメージがなぜか悪い。それは色んな情報操作があるからだと思う。入って人生狂った。変わったなんて話をよく聞くからかと思います。
そんな人が身近にいると、「こわー」みたいな気持ちになりますよね。
最近思うんです。
そこにいて、自分自身は幸せなのか。
そこなんじゃないかな。
自分にとって今その場所が幸せなのか。苦しくも、乗り越えていこうって思える場所なのか。
自分の心とちゃんと向き合って、「良い」って思える場所なのか。
実はシンプルなんじゃないかって。
僕は性格そのものがネガティブです。わかってるんです。
だから、今までの人生の中で「あーしとけば良かった」と思うことが多かった気がします。
でも、父が亡くなって、自分の中の当たり前が無くなって、「なにもしてあげられなかった」「自分なんて」って塞ぎ込みそうになってた時、こんな風に思いました。
人生は一回。
ポジティブに生きるのも
ネガティブに生きるのも自由。
自分が選択したものは全部正解。
周りからどう見られても、色々悩んで相談して最後に自分で決めたことは、正解なんだって。
もちろん人を殺めたり、物を盗むことは間違えている。
信仰という選択も自分の心を保ったり、高めたり、実は重要なことなんだと思います。
何のために生まれて何のために生きるのか。
僕は信仰の中にその答えがあると考えてます。
人のために自分の命を使う。そこなんじゃないかな。
苦しくて逃げ出したくて、消えたくて、死にたいって思った時、自分の生きる意味を思い出せば、消えたり、死ぬ選択はしなくていいんだって思える。逃げていい、隠れていい。
生きていれば、何かある。
誰かのために、人のために自分ができることを考えて行動してたら、自分の悩みはちっぽけになるんじゃないかな。
僕はまだ自分が誰の何に貢献できるか分からない。
でも、誰が「あなたのおかげで」って言ってくれたらそれでいいかなって思えてきてる。
家族が笑顔でいてくれれればそれでいい。そのためになにができるか。
…このテーマは永遠に書けちゃうし、
「結局何が言いたいの?」ってことになる。
今回の内容としては、
「信仰には生きる意味の答えがある」ってとこに繋がるってことを書きたかったということです。
自分の人生を諦めないでほしい。
こうやって書き出すと自分に言い聞かせている気になってくる。
このブログが誰かの何かに役立つことを祈って。
また書きます。
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